百歩の道も一歩から
な〜る#134(2005.8.29)掲載 人物INDEX 山崎正和さん
10月22日の兵庫県立芸術文化センターのオープンまで2カ月をきりました。立ち上げから指揮をとってきた同センター芸術顧問の山崎正和さんにお話を伺いました。(取材担当・山田)




構想から約20年

「ようやくという感じですね(笑)」と開口一番。兵庫県立芸術文化センターの構想が生まれてから約20年という歳月、山崎さんは奔走。もちろん、この仕事だけをしていた訳ではありません。
演出、劇作から文芸・社会評論までの作家活動、大学教授と多忙をきわめたことでしょう。
京都出身の山崎さんは約30年間夙川在住。
「京都人にとって、阪神間はあこがれの地です。伝統の街・京都に対して、ハイカラな街とあらゆる文化の発祥の地のイメージでね。兵庫県に住んだのがきっかけで、この兵庫の舞台芸術を向上させていこうと思ったんです」。
尼崎市のピッコロシアターの演出を手がけた際に2代前の兵庫県知事・坂井時忠氏と出会い、兵庫県の芸術文化の基盤が生まれました。
その後、前知事・貝原俊民氏のときに立ち上げられた芸術文化センターの構想は、ハード面の劇場建設計画を進めながら、ソフト面の公演事業を独自に進めるというものでした。

震災を境に

ところが、95年の阪神・淡路大震災後、文化的なものは贅沢だからこの際、自粛しようという機運が生まれ、芸術文化センターの建設も延期に。
「でも、瓦礫と化した街の中におにぎりを作るのも大切だが、文化も大切という声はありました」。
そうした声に動かされ、自ら東京や大阪の財界を回り、資金調達をして『GHETTO(ゲットー)』を公演。
ナチスドイツが芸術を抹殺していく過程を描いたもので、「『墓場に劇場は必要か!』という震災当時には残酷ともいえる台詞ですよね。でも、被災して家族を失った方から感動しましたという手紙をいただきました」。
センターの建設計画は二転三転し、最終的な設計が出来上がったのが平成12年。「当初は、20年もやるとは思わなかったですが、その間に着実に人材が育っています。今の劇作家、演出家の大家、中堅は兵庫から始まった人が多いんです」。
今回上演される山崎さん原作の『獅子を飼う』の栗山民也氏は、13年前に同じ作品で兵庫県から演出家として飛躍しています。

「今後も現代の最先端の作品をどんどん取り入れたい」という山崎さん。
演劇の本場ブロードウェイでヒットする作品は、まずボストンやニューヘブンの街で上演し、観客の反応を見てからブロードウェイに乗せます。
つまり「街の鑑賞能力が芝居を作っていきます。その土壌が阪神間の市民にはあると思います」
 
単なる鑑賞という受身の立場でなく、私たちも文化を創る一端を担っているのだと思うと、より一層、楽しめそうに思えました。
 
| 正木京子 | 芸術文化センター10周年 | 10:15 | comments(0) | trackbacks(0) |









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