日付変わって、昨日、1月19日は、姑の誕生日でした。
な〜るの締切のために当日に動くことは不可能なので、前日18日に姫路までダッシュ。
朝7時26分の電車に乗って、8時45分に姫路の家にデンして帰って来たんだけど、プレゼントしたウェッジウッドのお皿をとっても喜んでくれて、行ってよかった。
いちおう、長男の嫁らしいこともたまにはしないとね。
初めて会った頃の彼女は、輝くような美人だったけど、さすがに81になるとおばあさんになった。舅も今年で83、髪がすっかり真っ白になっており..。
2人とも年だなぁとつくづく感じる。
姑の話は回りくどくて、やたら長くて、しかも思い込みが強い人なので、以前は話を聞くのがつらかったんだけど、最近、ちっとも苦痛に感じなくなってきた。
けっこうおもしろかったりする。
これは、自分も年とったってことなんでしょうかね。
「網干も便利になりましたね。家から1時間半かからなかったわ」と言う私に、姑が「そうでしょ? ここから通えるよ。前の家も空いてるし」
あ。そう来たか..。
結婚当初はすぐに同居の予定で、庭先に家を建ててくれたんだけど、当時は連れ合いの仕事が深夜に及ぶような状態だったので、通勤は無理と西宮に住んで、子どもが学校に上がるまでに同居しようということになっていた。
やがて、子どもが就学年令となり、同居の話が持ち上がったものの、その当時は、姑のほうから「元気なうちは、互いに別にいたほうがいい」と言い出し、そのまま現在に至り、せっかく建ててくれた家は、ネズミの運動会場になっている。
きっと、あの時の姑は、「こんな気の強いわがままな嫁とは同居できない」と思ったんでしょう。
その姑から、今ごろに同居の提案ともとれる話が出てくるとは思わなかったので、ちょっと驚いたが、「それもいいかな」と思う自分がいる。
今はなんとかかんとか言いながら、2人とも元気でいてくれるけど、どちらか一人になるようなことがあったら、放っておけないだろうし..。考え時かな。
でも、やっぱり喧嘩したりしてしまうんだろなぁ...。
午前中には会社に入りたいという私を、舅が駅まで送ってくれたが、途中の道が踏切の手前でひどく渋滞して、予定の電車に間に合わないかも..と気にしだした舅、いきなり追越し禁止の車線をぐいっと膨らんだかと思うと、反対車線を300mほど逆走。
「お、おとうさん、おとうさん!」と、あわてる私に、「大丈夫、だいじょうぶ、ここは向こうから来ないから」。
い、いや...踏切の手前に交差点があるんだから、曲がってくる車はありますよ...
じいさん、恐るべし。
あれだけ元気なら、まだしばらくは気をもまなくても大丈夫かな?
と、思ってみたり..。
ま、今迄も何かが変わる時って、自分の意志とは無関係にワ〜〜ッと周囲から条件が押し寄せて来たりするので、考えなくても考えても、「しなさい」的な状態がきっと起こるんだろ。
時にまかせます。