百歩の道も一歩から
DCJツアー
29日22時20分発のハーバーライト2号車で横浜へ。
最近は、発車オーライネットのお世話になるんだけど、ネットで予約して、クレジットで決済、チケットはモバイル発行で、乗車時に携帯からアクセスしたチケット画面を見せるだけ〜〜の、とっても簡単システムなので、よく利用させていただいてます。
「え〜〜? バスですか? 疲れるでしょう?」と言われるけど、私はどこでも寝られる人なので(これでも、10年前くらいまでは、シーツに皺があっても寝られないくらい神経質な人だったんですが)、寝てる間に移動出来るし、到着後すぐにスカイスパでお風呂入ってサウナ入って、3時間たっぷりリフレッシュできちゃうというおまけつきなので、けっこう楽しみにしてたりする。
後で分かったんですが、関西に転勤しちゃった清水クンも同じバスの1号車に乗ってたらしく、まさにコーバスですなぁ。てか、修学旅行みたいだ。
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| 正木京子 | music | 17:52 | comments(0) | - |
継続は力
葬儀を終えて、火葬場に向かう車の中で、叔母が「最近は好きに泳がせてくれたら2キロぐらいは泳げるよ」と話し出した。
母と一回り年下の叔母は、私との方が年が近くて、中学生で叔母になり、「私、おばちゃんとちゃう!」と泣いたそうだが、私とは姉妹のような関係。

15年前のある日、叔母が膝を悪くしたことから「水泳がいいよ」と勧めたのは私。
水に顔をつけることもできなかった叔母に、ずいぶん乱暴な提案をしたものだが、とりあえず私の水着を貸して、出来たばかりのスイミングスクールに体験入学してみると、なんとか「イケそう」らしく、それなら「私が水着をプレゼントするから続けてみたら」と、デサントのセールで買った水着をプレゼントした。
以来、休むことなく続け、今では、最低でも1キロは泳ぐようにしているそうな。
ビギナーのアドバイスなんかもしちゃってるそうである。
「あんたが、水着をくれたおかげよ。今もあの水着置いてあるよ」という叔母の言葉に、逆に私が励まされた。

おばちゃん、すごい!
まさしく、継続は力ですね。

私の観客歴もずいぶん永くなったが、これも、みなさんから力をいただきっぱなし。
さてさて、ただいまより、夜行バスの乗り場に向けて出発です。
DCJ行く時は、なんとなくコーバスチックなのが好きで、夜行バスと決めてる。

いざ!
| 正木京子 | feel | 21:28 | comments(0) | - |
贈り物
「この人の存在がなかったら、今の私はあり得なかった」という、重要なキーを持った存在は誰にでもあると思いますが、「この人がいなかったら、私は生まれてすらいなかった」はずの大叔父が昨日亡くなりました。
母方の祖父の末弟である大叔父は、祖父が商売をしたいがために家を出た後の家を守り、栄えさせてくれました。
祖父は、当時37歳の妻と、16歳の長男、12歳の長女、生後3週間の次女を遺して、昭和19年にあっけなく結核で亡くなってしまいましたが、この4人の家族の生活を支えてくれたのは、祖母の実家であり、祖父の兄弟で、なかでも大叔父は「兄さんが元気でいればあんたたちの物だから」と、それぞれの子供たちに土地を分け与え、陰から絶えず支え続けてくれていました。
この長女が私の母で、大叔父の存在がなかったら、母は父と結婚できていなかったし、当然、私も生まれていなかったわけです。

人が生まれるきっかけというのは、偶然の積み重ねと、幾多の人々の時間の進行の上にあるのだなと思います。
最近、拾った言葉にとても好きな言葉があるのですが、

The past is history, the future is a mystery, and this moment is a gift.
That is why this moment is called 'the present

過去は歴史、未来はミステリー、そして今この時は贈り物。
だから人は、現在を"present"と言う。
そんな意味でしょうか。
英語でないと伝わらないメッセージではありますが、贈られた今は、大叔父も含め幾多の人からの贈り物だと思って受け入れていきたいと、そんなことを思う今日でありました。
| 正木京子 | feel | 11:57 | comments(0) | - |
アホ変換
最近、手術ネタが多かったせいか、「回復」のつもりで打ったら「開腹」と出た。素晴らしい学習ぶりに独り爆。

何を隠そう、私、いまだにことえり使ってます。
ATOKやEGBRIDGEを入れてみたら..なんて、巷のアドバイスにも耳を貸さず、ひたすらことえりを使いこなすっつか、調教することに命かけてます。
マイノリティのマカーの中でも、ことえり利用者は更に少数派のようですが、プラグインで拡張することはあっても、生まれた時からくっついてきたモノは、かっちり使ってあげようという、マシンをつい擬人化してしまうマカーの悪い癖なのか、とにかくこれからもとことんつきあって行こうと思ってるわけで。
今は、OS9.2.2で動かしてますが、OSXでは、それ以前のユーザー辞書を反映できないとかという話は聞いてるので、アプリとフォントを敢然に、いや完全にX対応にしてしまったら、そこから後はどうすべか.。とは思ったりしますが、その時はその時、ことえりもちょっとは賢くなってるかもしれないし。

で、ことえりというネーミングもなんとなく犬が三毛の、いや「犬神家の一族」の、「よきこときく」みたいな監事で、いや感じで、Macらしくて好きなんですが、由来は、源氏物語らしく「ことえり」のネーミングの由来という記述がありました。
ほ〜〜〜、そんなことを知ってしまうと、ますます、ことえりちゃんに愛着が湧いてしまうじゃないですか。

で、一日に何度も出会う、アホ変換もまた愛らしく感じてしまうわけで。
ストレス感じる人も多いようですが、もともと実生活もデキの悪い息子ふたりと、キレがいいのか悪いのかわからない連れ合いと暮らしているせいか、ことえりのアホさ加減なんて序の口。私にとっては、あほあほ変換が一服の清涼剤にすらなっています。
だから、固有名詞は必ず登録するとして、短御登録(こら!)単語登録は最小に留めていますので、「吹奏楽祭」を「水槽が臭い」と変換してくれちゃっても、「お〜〜〜、やってくれましたか」って可愛く思えてしまうのです。

アホ変換帳作ろうかな。

| 正木京子 | feel | 12:39 | comments(0) | - |
また1週間が始まりました
さぁ!やるぞ! と奮起できるはずが、なんともだるだる。
「コレはキミしかできない」「コレはあなたの方がうまい」とか言って、人に仕事押し付けまくってます。
昨日の列車遅延は、かなりのダメージになったよで。

先日、サウナのアナログ12分計のグングン動く分針を眺めながら、「時の経過が目に見えるのってじっとしてる時間が苦にならないものなんだなぁ」と思いましたが、昨日はその逆で、「35分遅れ」の表示が「40分遅れ」に変わったかと思うと、また「35分遅れ」に戻り、やがて30分過ぎても「ただいま快速電車は大津を通過しました」って、おい! 大津から10分では京都まで着けないでしょがと、ため息つかされ..
そのうち、全列車各停になり..。まさか、大阪まで各停で帰るの? という危惧は現実のものとなり..。
情報公開というより、通告のようなアナウンスに右往左往させられた乗客はみな疲れ切ってました。
あれでも、JRさん、それなりに頑張ってたとは思うんですが、発車直前まで、どの電車が一番早く大阪に着くのかわからないような状況はなんとかしてもらいたかったなぁ。
列車が人身事故で遅れてしまったのは、もう仕方ないとして、そのあと、一刻も早く帰り着きたい乗客が、どんな情報を欲しがってるか、そこのとこを判ってほしかった。
同じサービス業として、色々勉強にはなりましたが。

さてさて、WCC、BBSにも書きましたが、意外によかったです。
「交流会」の名前にふさわしいイベントになったんじゃないでしょかね。
出演団体の割り当てチケット持ってる人ばかりかと思いきや、けっこうJTBやコンビニのチケット持って並んでる人が多かったし、開場前には、すでに4〜500人くらい並んでました。
入場者数は、ざくっと大掴みにして1000人程度くらいかな。

各団体の演目内容は極端に差がありましたが、開催までの経緯は色々あったものの、どの団体も楽しく演技してくれてました。
ほとんどのところが、2004のショウを持って来てくれてましたが、関ビは立奏とガードだけ、幻は5人のブラスアンサンブル、明浄は定演サイズに変更したショウの披露で、それはそれで新鮮味もあったけれど、明浄をもう一度見たいと思っていた私にはちょっとがっかりでした。

WCCは、来年もまた同じ日程の同じ場所でやるそうです。
大城せんせが「初回でこれだけの人数を集められるのはすごいね」とおっしゃってましたが、ほいでも、昨年のインスパの沖縄コンサートと同じか、まだ少ないくらいだったからね。
スーパーマーチングみたく、武道館の後に..という主旨はわかるんですが、今後はジャジングするという話でもあるし、なら、もう少し前に持って来てくれてもいいんじゃないかなと思ったりします。

なんにせよ、1回目をこうやってブチ上げちゃったんだから、末永く継続してもらいたいですね。
間違っても00Yamatoの時みたいなゴタゴタは起こさないでほしいと思います。

せっかく行ったので、ざらっと感想。
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| 正木京子 | feel | 15:56 | comments(0) | - |
うちの家族ったら..
DVD話、もう一つ。
やおら昨年のDCIを引っぱり出して、「すごいもんが写ってる」と見せてくれようとする子供たち。
画面に映ってるのはBD。
は?
「怪奇現象や」
「心霊写真かもしれん」
な、なに? なに???

カメラが観客席を捕えてるところで、ストップモーションかけだした裕明。
「あ、ここちゃうわ」と、また早送り。
え? 客席に、変な人が映ってるの?
びくびく、わくわく、どきどきしながら見てると...。

「ほら、ここ!」

あ〜〜〜〜〜!!
DMの後ろに写ってる4人。
寺山さん、連れ合い、私、ヘレンさん。

爆笑!

「しかし、なんで4人とも揃いも揃って、こんな魂抜けたみたいな顔なん?」
「あ〜〜、それはその...」
つまらなかったんですから〜〜〜。残念。←波田陽区を嫌いなのに、言ってしまうくらい面白くなかったんですもん。

寝てなくてよかった...
| 正木京子 | family | 09:35 | comments(0) | - |
WCC
musicのカテゴリーに入れていいんだかどうだか..

それはさておき、今朝、お風呂に入ってたら、部屋の方から賑やかな音が聴こえて来る。
99SCVだ。どしたんだろ?

上がってみると、隆司がDVDを見てた。
「マーチとは縁を切る」と言ってるくせに、なんだかだ言って見るのねぇ。
ファーストプッシュの後の「A」の文字の謂れを聞かされつつ、そのまま、Scoutsを一緒に見た。
隆司は、この年Yamatoで渡ったので、その場にいたわけだけど、「あの歓声は、今だかつて聞いたことがない」くらいのすごいモノだったそだ。
「裕明とテリーには、せめて、この年くらいにさせてあげたかったねぇ」と言いながら見てると泣けて来た。
ガードのまっちゃん(と、呼んでる、ダウンタウンの松本にそっくりな子)の横に、裕明の姿を置いてみたり、この年、いきなりソロ取っちゃったジェシーの隣にテリーの姿を重ねてみたり..。と脳内妄想。

明日はWCC。
行くか行かないか、ずっと迷い続けてたけど、あれもラスト、これもラストで、ラストになることが多すぎなので、とりあえず行ってみる。
チケットよほど余ってるのか、あちこちからいただいちゃったし。

あ。タイトル、WCCにしたのに、ちっともWCCのこと書いてないですね。
うちでは、トイレコネと言ってますが、書き出すと、イヤなことばかり並べてしまうので、書かない。
出演者には罪はないんだから、明日は、めいっぱい声援送って来ます。
| 正木京子 | music | 16:42 | comments(0) | - |
ターニングポイント
になるかもしれない。1月21日。
新年会で「もうちょっとここをこうしたら..と、お父さんが言ってるのよ」と教えてくれた津曲さんの奥さんの言葉に、「一度時間をゆっくりとってもらいたい」と頼みこんで、忙しい時間を2時間も割いてもらった。
御自宅に伺ったが、信貴山での社員研修に顔を出され、不眠の状態で山から下りて来られたばかり。ホッとされたいだろうに、疲れ一つ見せず、話している間にもパティシェが開発中のケーキの試食を持ってやってくる。

オリジナルにこだわり、「うちにしかできないこと」で、人に喜んでもらいたい。でも、10人の人がいて、10人全てを喜ばせることはできないことはわかっているのに、10人全部が納得できるものを出さねばという、悪魔の囁きのようなジレンマに度々陥る私に、津曲さんは、色々なヒントを下さった。

「とりとめもない話で、何の答えにもならなかったかもしれんけど」
「いえ。ヒントを山のようにいただきました。答えは自分で出します」

奥さんが次々に出して下さるケーキを、遠慮もなくいただいたが(だっておいしいんだもん)、最も大きなプレゼントを頂戴してしまった。
うちで津曲社長の半生を連載させてもらえることに。
ありがとうございます。がんばります。

同行した社員も、エキサティングでアグレッシブな津曲さんの言葉にかなり打ちのめされたようで、今日の日報には、それぞれの決意が書かれていた。
連載企画のドラフトも早速に書いて来たし。

見ていてくださいね。必ず、「答え」をかっちりと出します。


| 正木京子 | job | 01:18 | comments(0) | - |
嫁と姑
日付変わって、昨日、1月19日は、姑の誕生日でした。
な〜るの締切のために当日に動くことは不可能なので、前日18日に姫路までダッシュ。
朝7時26分の電車に乗って、8時45分に姫路の家にデンして帰って来たんだけど、プレゼントしたウェッジウッドのお皿をとっても喜んでくれて、行ってよかった。
いちおう、長男の嫁らしいこともたまにはしないとね。

初めて会った頃の彼女は、輝くような美人だったけど、さすがに81になるとおばあさんになった。舅も今年で83、髪がすっかり真っ白になっており..。
2人とも年だなぁとつくづく感じる。
姑の話は回りくどくて、やたら長くて、しかも思い込みが強い人なので、以前は話を聞くのがつらかったんだけど、最近、ちっとも苦痛に感じなくなってきた。
けっこうおもしろかったりする。
これは、自分も年とったってことなんでしょうかね。

「網干も便利になりましたね。家から1時間半かからなかったわ」と言う私に、姑が「そうでしょ? ここから通えるよ。前の家も空いてるし」
あ。そう来たか..。
結婚当初はすぐに同居の予定で、庭先に家を建ててくれたんだけど、当時は連れ合いの仕事が深夜に及ぶような状態だったので、通勤は無理と西宮に住んで、子どもが学校に上がるまでに同居しようということになっていた。
やがて、子どもが就学年令となり、同居の話が持ち上がったものの、その当時は、姑のほうから「元気なうちは、互いに別にいたほうがいい」と言い出し、そのまま現在に至り、せっかく建ててくれた家は、ネズミの運動会場になっている。
きっと、あの時の姑は、「こんな気の強いわがままな嫁とは同居できない」と思ったんでしょう。

その姑から、今ごろに同居の提案ともとれる話が出てくるとは思わなかったので、ちょっと驚いたが、「それもいいかな」と思う自分がいる。
今はなんとかかんとか言いながら、2人とも元気でいてくれるけど、どちらか一人になるようなことがあったら、放っておけないだろうし..。考え時かな。
でも、やっぱり喧嘩したりしてしまうんだろなぁ...。

午前中には会社に入りたいという私を、舅が駅まで送ってくれたが、途中の道が踏切の手前でひどく渋滞して、予定の電車に間に合わないかも..と気にしだした舅、いきなり追越し禁止の車線をぐいっと膨らんだかと思うと、反対車線を300mほど逆走。
「お、おとうさん、おとうさん!」と、あわてる私に、「大丈夫、だいじょうぶ、ここは向こうから来ないから」。
い、いや...踏切の手前に交差点があるんだから、曲がってくる車はありますよ...
じいさん、恐るべし。

あれだけ元気なら、まだしばらくは気をもまなくても大丈夫かな?
と、思ってみたり..。

ま、今迄も何かが変わる時って、自分の意志とは無関係にワ〜〜ッと周囲から条件が押し寄せて来たりするので、考えなくても考えても、「しなさい」的な状態がきっと起こるんだろ。
時にまかせます。
| 正木京子 | feel | 02:05 | comments(0) | - |
涙雨
10年目の朝は土砂降りの雨でした。
あの日が雨だったら…と思うと、ちょっとゾッとします。
外に出てみると、すっかり様変わりした家の周りに、あの日の光景がいきなりフラッシュバックしてしまいました。
うちの家の前は旧西国街道、車が一台やっと通れるこの道に、大名行列が通ったとは信じられません。
この道を境に、北と南で被害が分かれました。
南に建っていた家は軒並み倒れ、阪急電車の高架が落ち、東側の家は北向きに倒れたので道を完全に塞いでしまって、姫路から駆け付けてくれた義父は、ガレキの上に登って辿りつくなり、「戦争の時と同じだ」と呟いていました。
我が家は、親子3人がタンスの下敷になり、そこここにヒビが入ったものの、幸い、北東にやや傾いて屋根瓦がずり落ちただけで倒れずに残りました。

隆司と裕明は、中3と小6でした。
隆司は、クラブ推薦でほぼ内定していたとは言え、入試直前だったのに、それどころではなく、2人とも毎日水汲みと避難所のボランティアで過していました。

裕明たちの卒業式は、体育館が避難所になっていたので、ランチルームで行われました。
あちこちの学校の卒業式に報道のカメラが入っていましたが、大社小学校の校長はそれを拒否してくれて、身内だけの、心のこもった温かい卒業式でした。
隆司たちの時には、避難所のみなさんが卒業式のために武道場に移動して下さって、体育館で行われましたが、この時にはカメラが入って、亡くなった生徒の遺影をしつこく追っていました。

裕明の同級生には、お姉さんの亡くなった家庭がありました。
お父さんは建築家だったのに、自宅が全壊してしまったことで、卒業式ではお母さんがずっと泣いておられましたが、最近の御様子を知ることができました。
お嬢さんの死を無駄にしない生き方をしておられるんですね。

あの年、中止になってしまった、県立西宮高校の卒業演奏会が10年越しで開催されるそうです。

震災がなかったら、私は、あのままおちの同僚でいて、相変わらず神戸を走り回っていた思います。

変わるもの変わらぬものあり阪神忌

新潟中越地方の一日も早い復興を祈りつつ。
| 正木京子 | feel | 11:33 | comments(0) | - |
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