百歩の道も一歩から
ばたばた会
    行ってまいりやした。
色々あって、着いたのは終了30分前。なんとかGLORIAのショウと、ばたばた会のランスルーを見られたので、それでよし。
ばたばた会・・「旗々会」も今年で3回目。
GLORIAが主催して始めたイベントですが、とってもアクセスの悪い場所で開催するのに、県外からもたくさんの参加者があって、今年は70名以上がばたばたしてました。
フラッグ・ライフル・セイバーの3部門に分かれて、午前中はパ−ト練習をし、午後からはコンビネーション、最後に参加団体のショウの披露後ランスルーと言う、一日で一つのショウを作ってしまおうというお茶目な会です。
最初の年には、こんな大人数でガードショウをたった一日で仕上げるなんて、出来るんぢゃろか?と思いながら見学させてもらいましたが、旗や振りが揃わなくても、参加意識だけはまとまって、初心者もベテランも、いっしょくたになって作ったショウは、見てるだけでも楽しかった。
初年、ライフルを指導した裕明は、内容が難しすぎてついて行けない人続出だったので、かなり反省したらしく、2年目にセイバーを指導した時には、だいぶん工夫が見られましたが、「指導」する側にもいい勉強になるようです。

    初年は、全員おそろいのTシャツを着て演技。昨年からは、全員お揃いのフラッグで演技。Tシャツもフラッグも、GLORIAメンバーとその仲間の手作りで、参加者のみなさんに喜ばれていました。黄色のオールフラッグは、なかなか見ごたえがありましたよ。
船見さんの下で育って来たメンバーたちは、こういう気持ちの伝え方をできるから、どこへ行っても可愛がってもらえるんだろうなと思います。
裕明は、いいチームで4年間過ごさせてもらいました。

にしても、会いたくない人に嫌がおうでも会ってしまい、会釈されて返しながら歩いた時に、うっかり方向間違ってガラス扉の横のガラスに突進してしまったのは、不覚だった。くそ!

さてさて、月末処理も無事片付きまして、明日から3月。
ふあぁ〜〜、決算月だ....。
| 正木京子 | feel | 20:16 | comments(0) | - |
椎也と憧佳

沖縄のりかさんが、PHSから携帯に変えたそうで、椎也と憧佳の画像を送って来てくれました。
初めて会った時の2人は3歳と0歳。昨年のインスパ沖縄公演の時にも会ったけど、憧佳はまだ幼児の雰囲気を残してたのに、すっかり少女になっちゃって..と思ったら、4月から1年生だそです。車に乗ってる間中、大音量で泣いてたあの子が..と思うと、感慨深い。
よその子は大きくなるのが早いよ。

さて、明日はばたばた会です。
武道館で終わると言ってた裕明、結局、WCCにも出て、とうとうばたばた会にも参加。
これでホントにホントの国内ラストショウになるはず。(^^;;
と、本人は言ってますが、たぶん、LAでも踊るんちゃうかなぁ。。

私は、顔合わしたくない人が来ることがわかって、行くか行くまいか迷ったんですが、迷うほどその人の存在が大きいわけちゃうやんと思い直して、石ころが転がってるつもりで、気にせずに行くことにします。

芸文センターのプレゼンの準備もしないといけないんだけど..。こっちの方が私にとっては存在大きい。大き過ぎる。だんだん煮詰まってきた...
| 正木京子 | feel | 23:11 | comments(0) | - |
親ばかに無理矢理つきあわせる本日のblog
毎日、朝な夕な見させられる映像。
定演のリハで私が撮ったDVを、裕明が暇さえあればチェックして「ココはよくがんばってくれた」「ココは逆にした方がよかった」「3分の2は、今年から始めた1年生なんやで」と解説してくれるので、DVDに焼いてあげました。
ついでにちょいと書き出してみました。
http://www.omasa.com/archive/konko_guard050205.mov
裕明が初めて作ったガードショウっす。
| 正木京子 | family | 21:39 | comments(0) | - |
くみちゃんとらぶらぶ
引き続きモノ、つうか、のりモノ。

昨日、ちょいとした説明会があって、くみちゃんにも同行してもらったんですが、帰りの電車に乗って、席に座ろうとして、「なにこれ?」
向いに座ってらした女性は、私たちのはしゃぎぶりにくすっと笑っておられた。
ふつうの席なんだけど、ふつうじゃないんですよ。こちらの画像だとよくわかると思うんだけど、電車の継ぎ目なの。
つまり、かつては運転席だったところ。
計器類だけはずして、人が立てるようになってる車両はいつも見てるけど、こんなのは初めて。
ちょうど、2人が並んで座れるサイズで、ちょこっと個室感覚。
「いやあ、ラブシートみたいやねぇ」と、娘みたいな年の女の子と並んで座って、おばさん喜ぶ喜ぶ。
阪急電車さん、なかなかのアイデアです。

けど、こんなことにお金かけるより、ホントは、宝塚ファミリーランドと西宮スタジアムを閉鎖しないでほしかったんだけどね。
| 正木京子 | goods | 05:30 | comments(0) | - |
モノネタ2点
今日の天声人語にキットカットのことが書かれていた。
キットカットが受験生に話題になっているということを知ったのは、つい最近。
うちの商店街の会長が、「友達がこんなんデザインして、いっぱい貰ったからあげるわ」と、五角形のマグカップを10個くれたことから、キットカットと五角形マグカップのつながりを調べて、キットカットが「きっと勝っとお」のダジャレで、五角形は「合格(ごーかく)」をもじってるのだということを初めて知った。
五角形マグカップをセットにして売り出されたキットカットはけっこう売れたらしい。
このマグカップのデザイナーは、サントリー角瓶の角グラスもデザインした人で、角グラスは、60万個も流通した大ヒット作なんだそだ。
ちなみに、この五角形マグカップ、見かけによらず唇の当たりが良くて、使い勝手がいいので、我が家でも会社でも取り合いになってしまった。

もう一つのモノは、韓国に卒業旅行に行った大学生のお土産。
おっとっとの韓国版。やたら辛いのは、やはり韓流なんでしょうが、何が入ってるのかわからなくて、箱を確かめようとしたけど、全部ハングルでわからんかった。
フランス人は、判ってても自国内では英語は使わないと聞いたことがあるけれど(ウソかホンマか...)、韓国の物産も、英文にお目にかかることがほとんどないなぁ。頑固なのか、誇り高いのか...。
| 正木京子 | goods | 12:13 | comments(0) | - |
レンガ職人
芸文センターの工事現場でレンガ職人さんと会った。
地上36mのこの建物の外壁には50万本のレンガが積まれてるんだけど、この1本1本は、全て手作業で積み上げられた。機械化が進む建設現場でも、レンガ積みだけは手作業しかないんだって。工事期間中、来る日も来る日も壁に張り付いて積む、ひたすら積む。暑い日も寒い日も、黙々と積む。
「山登りと同じです。積み始めは気が遠くなるほど高い壁も積み続ければ、必ず頂上に到達します。全て積み終えた時の到達感は、手作業してるからこそ味わえるんでしょうね」と、職人の高山さん。
日本にはレンガ職人は120人ほどしかいないんだそで、年の9割は各地の現場に出張。高山さんも沖縄以外の都道府県を制覇したんだって。
積まれたレンガを見れば、どこの誰が積んだ壁か、すぐにわかってしまうくらい、レンガ積みには個性が出るものなんだそうだ。上手な人の積んだレンガはそれだけで芸術品。しかも、基礎と補強さえ完全に出来ていれば、極めて耐震性の高い素材なので、永く生き残れる建造物になる。そんな誇りの持てる仕事だけど、やはり後継者が育たないと嘆いてらした。
この現場ももうほとんど仕事が完了して、しばらく東京に戻った後、3月に一度仕上げの確認に来たら、次の現場に移動。次は函館の図書館なんだそだ。
「ほとんど家にいないので、たまに帰ると、子供がその度に増えて、ぐんぐん大きくなっていきます」。うわぁ、奥さんは大変そう。
芸文センターのレンガには、見学者がマジックで名前を書かせてもらえた。外からは見えない側に書くんだけど、あのうちのどこかに自分の名前の入ったレンガがあると思うと、ちょっと誇らしい。
「同じ苗字のレンガがあったりすると、多分ご夫婦なんだろうなと思って、並べて積みました」
職人さんは、心優しい。
| 正木京子 | job | 12:52 | comments(0) | - |
金光大阪定演
吹奏楽部115名のうち3年生30名、卒部していきました。
前夜、台所で物音がするので起きてみると、涙目になってる裕明と目が合ってしまい..。
裕明の涙を見るのは本当に久しぶりで、なんだか悪いところを見たような気がして、よほど私も困った顔をしていたのか、本人あわてて「大丈夫やで、なんもないで」。
「初めて教えた子が卒部していくなあと思ったら、涙が出て来てしもたわ。明日はみんなの前で泣くわけにいかんから、今泣いてるねん」。その言葉を聞いて大爆笑。←なんでこういう時に、私は笑うのだろう。
そっかぁ、そうやねぇ。初めての教え子の卒業やねぇ。子供だ子供だと思ってたら、人を教える立場になってたんやねぇ。
自分の本番の時より熱心に「見てくれ見てくれ」と言ってましたが、かわいくてしかたないんでしょうね。
卒業記念にガードパートで寄せ書きしてくれた色紙を大事に持って帰って来ましたが、これも自分の時の寄せ書きはそこらに放ってあったのに、大事に飾ってます。
「それにしてもあんたの涙はホントに久しぶりに見たなぁ」
一番最後に裕明の涙を見たのは、何年も前に隆司と喧嘩して悔し泣きしてる時だったと思います。
「そうか? オレよう泣くで。毎年ファーストショウとファイナルのショウの時は泣いてた。初めての年なんか、泣きながら入場したよ」それを聞いて、また爆笑。←なんでなんで私は笑うのだろう。

見てくれと言っていただけあって、まだ歴史の浅い金光ガードではありますが、ちょっぴり難しいテクニックも取り入れながら、ダンスも美しく振り付けて、しっとりとしたいいショウになっていました。
04Nothern Lightsの曲を使ったのは裕明の好みでしょう。2曲目のBeauty&Harmonyとのつなぎの不自然さを思うと、どうしてもあの曲じゃないと..という必然にやや疑問は残りますが、むちゃくちゃな背伸びはさせず、うまく頑張らせていたんじゃないかなとは思います。

ドリルショウは、Scouts出身者が作ったのに、なぜかCavieになってしまっていて、面白かった。
でも、Ice Castlesを演奏せねば気がすまなかったのか、1部の最後に合奏してましたが、なんだか、作り手のやりたいことテンコ盛りみたいなステージだったなぁ。
丸谷・三崎組のこういう「押し出し方」は、彼らのやり方だから私たちが云々はできないけれど、子供たちがどれだけ咀嚼して演じてるのかなぁと、彼らのステージを観るたびに思ってしまいます。
もしかしたら、マーチで1年間やりたいことを十分にさせてもらえなかったせめてもの抵抗なのかなぁ。(^^;;

さて、今年も満場の来客で、ずっと立見で見て下さった方も多かったですが、何かと不手際も多く、特に開場直前になって、ゲートの位置がずれていることが問題になって、混乱なく入場できるかどうか肝を冷やしたのには閉口しました。幸い、うちは男子が多いからOBたちの中で大きな子がしっかりとガードして、団子状態になった入場者をなんとか捌き、その後、苦情も聞こえてはこなかったけれど、きっと不愉快な思いをされた人は多かったはず。
2年前から「座席券との引き換えをするべき」と言い続けて来たことも、今年も改善されないまま。
寒い中、開場の3時間も前から並んで下さった方も多く、不満一つ出ずに黙々と並んでいただいたことが申し訳なくて、高槻現代劇場の担当者に交渉して、風の通り道にテントを下ろしてもらって、少しでも寒くないようにと出来るだけのことをしましたが、きっとかなり冷えたはず。
後援会の受付には、新規・継続合わせて200人を超える申込があり、「感動しました。年々素晴らしくなるわね」と言って下さる方や、「自分の青春時代と重ね合わせてしまって、こうして頑張っている子供たちの姿を毎年楽しみにしてます」と言って下さる方など、どの方も、心から応援する気持ちで申込んで下さってる様子で、そんなお気持ちをもっと大切にしなくてはとスタッフは話し合ってはいるのですが..なかなか活かされれませんねぇ。

私は、高校の定演は、他校であろうが自校であろうが、その一生懸命さが大好きですが、なかでも「卒部式」で名前を読み上げられる子供たちの顔を見るのが好き。
金光の卒部式は、その年の3年生が選んだ曲を在校生が演奏する中で行われます。今年は「オレンジ」。隆司の時はFriends for Life、くみちゃんの時はCan You Feel the Love Tonight、裕明の時はWe are all aloneでした。隆司の時にはくみちゃんが、くみちゃんの時には裕明が、それぞれ演奏したわけです。
パートごとに名前を呼ばれて挨拶をし、会場中の拍手を浴びてステージを下り、中央の通路を花道にして退場する子たちの紅潮した顔・顔・・。
3年間、人一倍がんばった子も、それなりにがんばった子も、あんまりがんばれなかった子も、皆、この時は、イイ顔になっています。
この数年は、後援会会長の広川さんが、パート全員が呼ばれると「がんばれよ〜〜!」と声をかけるのが恒例になって、奥さんは「そばにいると恥ずかしいから」と、離れて見守ってますが、本当に「がんばってね」の気持ちで、手が痛くなるくらい拍手をして、送り出しました。

これからそれぞれの道を歩いていくなかで、高校3年間が、どの子にも輝きを持って思い出されるわけではないでしょうが、卒部式のあの瞬間は大切に持っていてほしいなと思います。
| 正木京子 | music | 15:20 | comments(0) | - |
十年越しの卒業演奏会
3月5日に兵庫県立美術館で行われる県立西宮高校音楽科10期生40人の「十年越しの卒業演奏会」の仕掛人・田中郷子さんに会って来た。
彼女は、ソプラノ声楽家として活躍する傍ら、この1年は母校で教鞭を取っており、同窓会の発足時に「私たちの卒業演奏会、やりたいよね」と上がった声をきっかけに、この演奏会の企画を起こしたそうだ。
10年前に予定されていた卒業演奏会の日程は1月21日。会場のホールは天井が落ちてしまい、「生存確認がやっと」の状態のなかで、当然のように演奏会は中止。
やがて、それぞれの進路を進んで、演奏会のことなんてとっくに忘れてたそうだ。
当時18歳だった彼女たちは、現在28歳。子育てで演奏会どころではない人、海外活動中で帰国できない人、演奏活動から離れてしまっている人もあって、全員が演奏できるわけではないけれど、出演できない人はプログラムにコメント参加の形で、一人の欠けもなく全員参加の演奏会になる。

演奏会のチラシに描かれているのは、10年前の自分と現在の自分が向き合った姿。
「震災では大変な目に遭いましたけど、『考える』ことをするようになったと思います。普通なら、大学を卒業する頃に向き合う問題に、私たちは18の時に否応なく直面させられましたから」
自分はどうして音楽をするのだろう。何のために音楽をするのだろう。自分がやりたいことは何なんだろう。来る日も来る日もそんなことを考え続けたと言う。
「震災の直後は、楽器を演奏することも憚られた」と言う彼女の言葉に、私も思い出したことがあるのだが、毎日、報道される犠牲者の数がどんどん増えていく中で、「歌舞音曲は控えてください」という人もあった。音楽が癒しになると言われて、避難所ライブが開かれるようになるのは、ずっと後のことだった。

彼女が見つけた答えは「自分には音楽しかない。ずっと音楽だけをやって来て、できることは音楽しかない」。人は、たくさんの可能性を持っているけれど、その可能性は、積み上げて来たものの上にしか広がならいものなのかもしれない。
そして、本当にやりたかったことにさっさと転向してしまい、ピアノから声楽へ。
同級生には、他の学年には見られないほど、専攻を変えた人が多く、また海外へ飛び出してしまった人が多く、「やりたいことは今やっとかないと、明日はどうなるかわからないという気持を強く持ってしまったんだと思います」。

そうだよね。
私も震災に遭わなかったら、毎日、安定の中でささやかな幸せを見つけてたのかもしれない。
「自分のやりたいことはコレ。やってはいけないことはコレ」と見えて来たから、会社を興してしまったんだ。少なくともやりたかったことはやれている、やってはいけないと思い続けていることは、どんなに悪魔の囁きが聞こえても揺れることはない。
彼女と話しながら、私も10年前の自分と向き合っていた。


| 正木京子 | music | 09:48 | comments(0) | - |
吹奏楽部20周年誌
昨年暮れから、OB会と一緒に作って来た金光大阪高等学校吹奏楽部20周年記念誌が刷り上がってきました。
仕事の合間合間に作って来たものだったけど、いちおうプロですから、限られた予算でなんとかいいもの作りたいと必死だった。
横山がうるさいので、それなりに利益も上げておかないといけないし、印刷業者にも無理言ったけど、私自身は、編集しながら懐かしい写真やデータを独り占めできて、ホントに楽しかったです。
昨夜、できたてのホカホカの見本誌を持って帰り、子供たちに見せてやると、「もう、ええ加減にしときや。お母さん、やり過ぎるねんから」と冷ややかな目で見続けていた二人が、嬉々として開きながら、昔話に花を咲かせてくれて、これから受け取るOBたちもこんな風に喜んでくれるかなと、とても楽しみになりました。

次の日曜日は、いよいよ定演です。
今年は、裕明の作ったガードショウも単体として初めて披露されます。
85年の創部以来、我が家が関わったのは、95年からちょうど半分。
25周年、30周年と、ずっと関わっていけるといいんですが。
| 正木京子 | anniversary | 13:58 | comments(0) | - |
クレーム
だれかさんの金沢文庫駅の「バザァル」に入っているマクドナルドの話で思い出したこと。
ずいぶん前にマクドナルドで3人分のセットをテイクアウトして、帰り道にコーラがずっこけてこぼれ出てしまったことがありました。当時は、今のように厚紙に穴を開けてドリンクを支えてるモノもなくて、紙袋に3本のコーラを立てて入れてくれているだけだったから、「お気をつけてお持ち帰り下さいね」とは言われてたので、こちらの持ち運び方も悪かったんだろうけれど、それなりに気をつけて運んだ結果だったので、「なんとか工夫していただけるとありがたい」と電話してみました。
電話の向うの店員さんは、実に丁寧に応対してくれて、「ご足労でなければ、お取り替えしますので、もう一度」と来店を促されたが、とってもご足労だったので、その日は2本のコーラを3人で分けて飲みました。
その次にまた同じ店でテイクアウトしたら、今度は、ちゃんとドリンクのステイになるものをつけてくれてました。たぶん、同様のクレームに対して検討した結果なんだろうと、自分の声が反映されたような気がしてうれしかったです。
そして、つい最近のこと、うちの横山が帰りが遅くなったので、帰り道に「そうざいや地球家族」に寄ってお弁当を買い、芦屋の家まで持って帰って開けてみたら、中の一つに髪の毛が入ってたそうです。
横山も、こういうとき、絶対に電話します。
「次から気をつけてくださいね」と言うと、「御返金に伺います」と言われ、「遠いからいいですよ。他のお客様に同じことがないように気をつけていただければ」と返したけれど、どうしてもと言われて、「それなら今日は食べるものがないので、お金はいいですから、お弁当を持って来てほしい」とお願いしたら、それから30分ほどして、自宅までお弁当を持って来てくれたそな。
「髪の毛は気持ち悪かったけど、あとの対処がとっても気持ちよかったですよ。私たちもお客様に対してこんな姿勢でいないといけませんね」と聞かせてくれました。
そうざいやは、神戸ロックフィールドの経営ですが、ここの社長の岩田さんという人物については、私も過去になんども「人格者だ」と聞かされてきました。そして、ロックフィールドの社員教育は、常にお客様の視点を持つようになされていると、厨房器具メーカーの社長からも聞かされたことがありますが、店頭のスタッフもみな気持ちよくて、単価はやや高めの設定になっているけれど、品質表示やカロリー表示がされているという安心感も手伝って、よく買い物している店の一つ。

私たちもサービス業の一端を担っているので、この「お客様の視点、お客様の立場」を大切にするように気をつけてはいるのだけれど、どうしてもトラブルが発生することはあるし、クレームが寄せられることがあります。
でも、過去にトラブルやクレームの発生したお客様ほど、長いおつきあいが出来てるなあと思います。
いかに迅速に、心をこめて対応するかが問題で、その対応が出来てさえいれば、信頼を失うことはないと思ってます。
本当に怖いのは、トラブルやクレームではなく、「不愉快なことがあっても何も言わずに離れていってしまうお客様」で、お客様から寄せられる辛口の言葉は、アイデアを産むきっかけになるのだから、とても有り難いと思っていただかないといけないと社員にもいつも言っています。
そんな考えなものだから、例えば、金沢文庫駅の「バザァル」に入っているマクドナルドには、私はぜったいに電話します。
もうそれっきりで2度と行くことはないと決めている店なら放っておくかもしれないけれど、これからも利用するつもりなら、お客様の信頼をどんどん失ってすたれてしまわれてはこちらも困るし、自分が買い物をする店はこんなステキな店なんだと思いたいから、必ず「お知らせ」します。
お詫びの品とかせしめようって魂胆じゃなく、「いい店になってほしい」。それだけなんで。

因縁つけるクレーマーと、愛着を持って接する顧客とは、電話の向うの声であってもちゃんと区別がつくものだと思ってるし、もしも、それがわからないようなら、その店はプロじゃないってことです。
| 正木京子 | feel | 13:55 | comments(0) | - |
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