百歩の道も一歩から
Rへ
ここの存在を知ってることも、たまに覗いてくれてることも知ってるので、あえてここに書きますね。

> いろいろとショックなことが続いていることも良く分かっているし、
> 本当にここ数日は僕自身も母さんをとても心配しています。
> まずはリラックスを。そして、次の一歩をしっかり出していきましょう。
> 僕は全面的に応援していますから。

多分、キミはこの4行を泣きながら書いたん違うかなぁ。
面と向かうと、私も絶対に泣いて言葉にならないだろうと思うので、この部分については今後も触れません。

息子にこんな心配させたら、母親失格やなぁ。
って、親として守って来た息子に、いつの間にか守られるようになってしまったんやなぁって、改めて「老い」を感じます。
そして、誇らしくも思います。
親思いはお父さんに似たねぇ。

でも、私は大丈夫よ。
明日、明後日と無理矢理オフにした。
2日かけて、花壇を創り直すことにしたから、その程度は手伝ってください。
| 正木京子 | family | 19:59 | comments(0) | - |
疲労回復
体が疲れたら寝る。
心が疲れたら笑う。

某洋菓子店オーナーの言葉。




笑えないほど疲れたら旅に出てみる。


デイトン!
| 正木京子 | feel | 15:20 | comments(0) | - |
間奏曲
あたふたしてる間に3月も終わろうとしてます。
なんだか長期未収が多くて、配達証明のファイルばかりが厚みを増します。かなり厄介な決算になりそうだ..。
積み残した課題が多い一年の締めくくりになりました。
でも、課題が多いってことは、やることが見えてるってことでもあって。

アマゾンから開幕の祈りが到着。
聴きながら仕事してると、逸る心がちょっとは落ち着きます。

今朝、裕明がチラと寄って来て、近況報告など。
彼とは、離れて暮らしているのが互いに一番安らいで過ごせるような気が。

一昨日、東京からの帰りに高槻を通過する時、今まで持ったことのない不思議な感覚に襲われました。
「あ〜、裕明はこの街に住んでるんだなあ」と思った瞬間の不思議な感覚。
「此処に私の遺伝子が一つ息づいてるんだ」みたいな。
祖母が亡くなった時、子供、孫、曾孫とその家族がずらりと並んだ様子を見て、「たった一人の女性からこれだけのファミリーが出来たんだなぁ」って感動したもんですが、その時の感覚のミニチュア版みたいな。

私は幸せに生まれて幸せに生きさせてもらってるんだとつくづく思います。ありがとう。
| 正木京子 | feel | 19:43 | comments(0) | - |
春だよ春
東に進むにつれて、桜の開花率が高くなるなぁ..と思いながら、午後から都内へ。
都庁の横の公園は、もう十分お花見できそうなくらいの開きぶりです。
帰ったら、うちの裏の桜も開いてるかもねぇ。
日が落ちるとちょっと冷えて、さすがにコート羽織りましたが、日中は暑いくらいで。春だ〜。
浮かれていたら、印刷会社の担当から電話。
「東京にいるんやって?」
「うん」
「僕も今東京。会う?」
「なんで、わざわざ東京で会わないかんの? どっちみち週末に会うやん」
「それもそうやね」
東京でしか会えない人と会いたいもんです。

と言いつつ、関西でいくらでも会える麻紀さんのライブへ。
念願かなって、やっと「NARU」のライブに行けました。
今日は、ピアノの井上ゆかりさんと、フルートの井上信平さんとのトリオ。

オープニングで、井上デュオ(夫婦でも親類でもない同姓の他人です)が、いきなりの「追憶」。
いか〜〜ん。「追憶」はいか〜〜ん。
1小節鳴っただけで、カツンとスイッチ入ってしまう曲は何曲かありますが、「追憶」はその筆頭。
泣く..。泣いちゃいますよ、私。でも、しょっぱなから泣きたくないよぉ〜〜。
なんとか持ちこたえましたが、信平さんのフルートがこれまた胸の奥をぷるぷるさせてくれて、ホントに「やられ」ました。
曲後半、やや軽めのアレンジにして下さったので、曲が終わる頃にはスッキリ落ち着いた気分にはなってましたが。

ゆかりさんのピアノは、一見クール、実はとってもお茶目で、聞き惚れつつ見とれつつな演奏。「省エネバンド」と笑わせながら、フルートだけじゃなくパーカッションからピアノまでこなしてしまった信平さんは、気配りしつつ我が儘通してしまう人で、さすがは老舗NARUのレギュラー。
こんなトリオを関西に呼べたらいいなぁ..。でも、なかなか...。

肝心の麻紀さんは、1曲目がちょっと不安定だったけど、すぐに調子を取り戻して、つか、いつも以上に声も伸びてたし、ハートの伝わる歌になってました。
NARUの常連さんの中で「藤村麻紀の日だから」と来てくれている人も多くて、「お姉さんですか?」なんて間違えられるほど気が気じゃない私は、ちょっと安心しました。

にしても、首都圏はいいよねぇ。平日でもあれだけ人を寄せられる底辺の広さを目の当たりにすると、地方の片隅で必死になってる自分が「小さい!」って思えてしまって、ちょっぴりうなだれそになったです。
ま、中央は中央、地方は地方。ローカルなりの面白さを出していけばいいとは思うんですが、ミュージシャンの厚さも羨ましい。
ん〜〜〜、ん〜〜〜〜〜〜〜。
悩める春の宵でありました。

| 正木京子 | feel | 23:53 | comments(0) | - |
フード系2種
先日発売されたポーション。「不味い」の「美味しい」のと、意見が分れますが、ポーションってアンデッド系にはダメージ与えるんだよね。だから、不味いって言う人は「アンデッド」? 
なんて言ってたら、含有成分の「青色1号」は発ガン性があるって..。アンデッドじゃなくてもダメージあるってことですかぁ?
先日の北陸ツアーにバス組に差し入れしたものの、現地で下ろし忘れてそのまんま戻って来たので、うちにはまだ飲みきれないポーションがどっさりあるんですが..。どうしてくれよう。
誰かいらない?


も一つ。
昨夜、我が家の人気を独り占めしたのはこのお方。
キレてらっしゃいます。
「切れてるタイプ」まで言いきってしまうとこが、何の躊躇もなくてイイです。
ベークド・カマンベールなんてメニューがあるけど、焦げるほどの怒りなんでしょか。

でも、カマンベールって、ホントはカマンベール地方で出来たものしか言えないんだよね。
けど、美味しかったし、co-opさんで半額だったから許す。
| 正木京子 | food | 10:43 | comments(0) | - |
魔笛
午前中いっぱい仕事。
この2週間、特にラストの3日間は大バトルでした。
全てを調整し終えたので、午後から、伊丹ホールへ。
もともと行ける予定じゃなかったのが仕事が伸びたおかげで行けることになり、Oの頑張りを見て来ました。
市民オペラなので、出演者は若手中心でしたが、丁寧に作り込まれてて見ごたえありました。
夜の女王役の「ユリ・マリア・サエンズ」さんは、市川猿之助さんの「金鶏」にも金鶏役に抜擢された人ですが、彼女のコロラトゥーラは余裕があって、気持のいいソプラノ。またチャンスがあったら、彼女のステージを観てみたいなぁと思いました。

2幕目、ちょっと間延びして、疲れもあって半分ぐらい寝てしまったけど、幸いTpの出番の少ない演目なので、Oの音はなんとか一通り聴けた。はず。

お疲れさま〜。
これで暫くは大きなステージもないみたいだから、お仕事がんばってね〜。
| 正木京子 | music | 19:40 | comments(0) | - |
やんちゃと言えば..
私も「かなり」だったらしく、祖母は「男の子3人育てるより手がかかる」と嘆いたとか。
「らしく」とか、「..とか」としか言えないのは、本人の記憶には、「とってもおりこうな私」しか残ってないからで。

年のせいでしょうか..、最近ふと子供の頃のことを思い出すことが多くて、だいたいつまらな〜〜〜い話ばっかなんですが、なぜかスタッフにウケるので、休憩時間は「思い出語り」になります。

金曜の話は、「トイレのカレンダー」
伯父の家に親類が集まった日のこと。
トイレに行くと、ドアにカレンダーが掛かってます。
見ると、日付けのマスに○や×が書き込んである。
○と×の数は妙に規則性のあるようなないような..。
子供の頃から、私はランダムな記号や数字の並びが大好きなんですが、その日も何かの法則でも見つけたのか、横にぶらさっていた鉛筆で、嬉々として「×」を書き込んでました。多分、夢中だったんでしょう。
トイレから出て、皆の集まる部屋に戻った時には、自分がしたことも忘れて従兄弟たちと遊んでいました。

しばらくして、伯母が血相変えて部屋に飛び込んできました。
「ヒロトシ! あなた今日下痢してるの?」
ヒロトシはきょとんとしてます。

その瞬間、私は自分が「ナニ」をやらかしたのか、知ったのでした。
トイレのカレンダーの「○」「×」は、従兄弟の「お通じ」の様子と回数の記録だったんでした。
家が商売していて、生まれつきお腹の弱かった息子に常に目を配ってやれない伯母が考え出した、子供とのコミュニケーションツール。

「わっちゃ〜〜」心のなかで叫んだものの、「私がやりました」と言うに言えず、そのまま黙秘。
40年ほども経つのにいまだに忘れられないのは、よほど「大変なことしちゃった..」と思ったからなんでしょう。
ハイ、この十字架、一生背負って行きます。

って、キミら爆笑してるし..。
| 正木京子 | memory | 06:07 | comments(0) | - |
お誕生日
連れ合いのお誕生日でした。とうとう57歳。あと3年で定年です。
ある意味「めでたい」という年でもないけれど、またある意味「無事にお誕生日を迎えられた」ことそのものを喜ばないといけない日です。
互いに仕事がびっしりで時間がなかなか取れない状態ですが、なんとかささやかにお祝しました。

連れ合いは、戦後のまだ物資の不足している時代に生まれたので、進駐軍の払い下げの毛布で作ったコートなんかが、結婚した頃にはまだ残っていました。
彼は、長男が1歳を迎えないうちに亡くなった後の子なので、ずいぶん甘やかされて育ったらしく、かなりのやんちゃ坊主だったようで、背中に残っている傷は、鶴見にあった操車場に潜り込んだ時に有刺鉄線でザックリやっちゃった時の傷だとか。

連れ合いのことを「すごいなぁ」と思うのは、精神的に非常にバランスが取れているところで、まず怒りません。
年中怒ってる私とは正反対。

でも、やんちゃぶりは、今も御健在。
まぁ、元気が何より。機嫌よくお暮らしくださいませ。
| 正木京子 | feel | 23:56 | comments(0) | - |
さぁて
泊まり込み態勢に入りました。
Oが心配して校正の出張先まで電話してきてくれましたが、彼女は明後日「魔笛」の本番だし無理させたくないので、「大丈夫よ」と断ったものの、さっき西宮まで戻って来て、駅の階段を下りる時には、つくづく「もう10年若かったらなぁ」とは思いました。

20年前は一週間徹夜できたのにねぇ。
もっとも、さすがに一週間徹夜すると最後には血尿が出て、「もうこの会社は辞める!」と思ったもんでしたが。で、結局、それから5年も居たんでしたが。

好きなことを仕事にしてるんだから、少々の無理は楽しみながらやってます。
泊まり込みも、案外苦痛ではないです。
ただ、体力がもたなくなったのが辛いですねぇ。
もう10年早く独立してたら、もっとアグレッシブに仕事できてたかなぁ、なんて、たらればの話になっちゃいますが。
「どんなことも、始めるのに遅すぎるってことはない」って言ってたのは、設計事務所やってたAちゃんでしたが・・・
・・Aちゃん、やっぱ、早いにこしたことない。遅かったら遅かったなりにできることの中からやれるけど、やっぱ出来ないことにブチ当たるとメゲそになるよ・・
って..Aちゃんとも、もう10年以上会ってないなぁ。

あの頃の仲間とは、すっかり縁が切れちゃいました。
こないだ、道頓堀に行った時にそっと首を伸ばして見てみたら、Dさんが経営してらしたお花屋さんはもうなくなってた。

みんな、元気にしてるのかな?
Rさん、Kちゃん、Sちゃん、Iちゃん..。仲良しだったのになぁ。
不思議な縁で出会って、3年ばかり大盛り上がりして、スコンと消えちゃった。
なんだったんだろ? 不思議な仲間だった。
色々あったから、もう会いたいとは思わないけど、時間が経つといい思い出になってる。
私が独立する時に、みんながお祝にくれた絵は、今も事務所に飾ってる。

私は、こうやって頑張ってるよ〜。
いつかどっかですれ違えるかもしれないね。
| 正木京子 | job | 00:19 | comments(0) | - |
荷物
その昔、「独りで重たい荷物を歯を食いしばりながら持ってる子がいたら助けてあげたいと思うけど、『いや〜〜ん、重いわ〜〜』とか言うて甘えて来る子には『ずっと持っとけ』と思ってしまうわ」と笑ってた人がありました。
彼に恥ずかしくないように頑張ろう。そんな思いで歯を食いしばってるうちに、いつの間にか体力がついたのか、独りで持つことが苦にならなくなっていました。

彼と音信不通になって、もう15年ほどになります。
今頃どこでどうしてらっしゃるでしょうか。
「太く短く生きる」と仰ってたから、この世にいらっしゃるかどうかもわかりません。
でも、あの時の言葉は今も私の支えになっています。

とは言え、ずっと独りで持ち続けていた物を、たまたま一瞬手を貸してくれた人がいたりすると、再び独りで持つようになった重さは以前にも増して堪えます。
重くて重くて、重さに潰されそうで、投げ捨ててしまいたくなります。

でも、この重さは、手を貸してくれた人のせいじゃないですね。
「こんなことなら、持って欲しくなかった」なんて恨みがましく思ってしまったらいけないのね。
手を貸してくれた人の気持は本当に有難かったし、その時は楽させてもらえたんだものね。
その気持への感謝を失いたくないから体力つけて、投げ捨てるんじゃなく、ちゃんと置きに行って来ます。
| 正木京子 | feel | 18:46 | comments(0) | - |
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