百歩の道も一歩から
記憶の欠落
朝からゴールドクレストの植え替えをして、うっかり朝の服薬を忘れ、11時頃に飲んだのが失敗。
私の場合、だいたい服用後3時間目くらいに猛烈な眠気がやって来るんですが、11時に飲んだんじゃ、ちょうど検定の始まる時間になっちゃうよなぁと思いつつ、かと言って、薬を飛ばしてしまうのはもっと不安で、「いくらなんでも今日は緊張してるから大丈夫でしょう」と飲んでしまったんですが....

はい。規則正しくやって来ました。睡魔大魔王。
13時30分集合で、若干の説明と解答用紙、問題が配られて、「スタート!」がかかったのが13時49分。
第1問の2ページ目にかかった頃から「きたきたき〜〜〜!」になり、第2問のページをめくる頃には、夢と現の間を行ったり来たりになり、確かにマーキングはしてるんだけど、いったい脳のどこで考えていたのやら....
やがて、完全に仮眠モード。
約10分くらいでしょうか、かなり深く眠ってました。

検定開始直後から居眠りする受験者ってそうそうないでしょうね。
きっと、「一夜漬けで徹夜したんだろう」なんて思われてたかもね。
できることなら、そのまままどろみの中にいたかったんですが、大枚5500円も払って、テキストと問題集で4000円も使って、さんざん勉強して、臨んだ検定ですから、「寝てる間に終わっちゃった」なんて言うわけにはいかず、目覚めてからは夢中で(夢の中ではなく)解きました。

で、帰ってから、持ち帰った問題を見て答えを合わせようとして、また驚き!
問題に解答書き込んでるし、確かに全ての解答をマーキングしたのもチェックして来たんだけど.....
解答するために考えた記憶が「ゼロ!」
途中退席して行く人の扉の開閉がうるさいなぁと感じていた記憶はあるんですが...
「書き込んでるから、確かにこの問題、やってるんだよね。でも覚えてない....]
書き込んである解答が、まるで他人によって書かれたような、でも、まぎれもなく私の字だという不思議。

ん〜〜〜〜。
無自覚に何かやらかしてたらどうしよう。
| 正木京子 | feel | 22:14 | comments(0) | - |
13日の金曜日
震災まで、神戸・元町に勤務していた私は、年に何度かある「13日の金曜日」になると、友人たちと「魔女集会」なる飲み会を開いていたのですが、メンバー4人のうち一人は震災後、事業に失敗して消息不明となり、一人は数軒の企業の経理を友軍として手伝いつつ、親の介護をする身となり、また一人は会社代表となった後、独立起業し、法人設立を目指して日夜忙殺されており、私も開業10年を過ぎてなお浮沈の毎日で、なおかつ、日付けが変わるほどまで呑んでも翌日ケロリと仕事が出来るほどの体力も互いになくなって、たまに会っても午後9時が来たら「明日に備えて」解散するようになっては、魔女とも言えず、「魔女集会」は自然消滅の途にあります。

昨日は父の祥月命日で、京都までお墓参りに行って来ました。
母、妹と3人で出かけましたが、女3人寄るとなんとやらで、父のお墓の前でまぁ賑やかなこと。
さぞや父も「おまえら、喋り過ぎ!」と思っていたことでしょう。

父の命日と言えば金木犀、金木犀と言えば父の命日、私の中では金木犀の香りは父の思い出のドアのキーのようになっていますが、つい先程知ったこと。
金木犀の木は中国原産で、江戸時代に渡来したそうですが、銀杏などと同じく雌雄異株。
しかも日本には、雌株はないそうです。
毎年この季節になると、香る金木犀は全て雄株。
永遠に実らない片思いを香りに乗せてあてどなく漂わせているのかと思うと、哀れを誘います。

さて、今日の「13日の金曜日」はだれが言い出したのか、「昼休みに自転車ですっ飛ばしてラーメン集会」を開催するそうで、スタッフから「割り勘ですから、一緒に行きましょう」と誘われました。
制限時間内にラーメン屋目指して、必死で往復する銀輪部隊。最近、うちのスタッフのアホさ加減はどんどんエスカレートしています。
| 正木京子 | feel | 03:46 | comments(0) | - |
ゆかちんとはるやクン

10ヵ月ぶりに会ったら、はるや君、もうこんなに大きくなっちゃって...


会社に訪ねて来てくれました。到着した時にはまだ車の中で眠ってたので、おばあちゃまからの連絡で、目覚めたはるや君を、ランチしてたお店へ連れて来てくれましたが、寝起きだったのと、ちょっと風邪ぎみで御機嫌ななめ。
それでも、泣き顔の合間に愛嬌たっぷりの笑顔を見せてくれて、次の瞬間にはママの胸に顔を埋めて..と、ホントにかわいかった。

午後からの会議までのわずかの時間しか会えなかったけど、毎回お里帰りの度に訪ねてくれるゆかちん、ありがとう。
熊本にお嫁に行った頃は、知り合いもない土地で随分寂しがってましたが、次第にお友達も出来たみたいで、子育てにすこ〜し疲れてたけど、いつものゆかちんらしい表情で安心しました。

私は、明日、久しぶりにラッシュ時の電車に乗って、京都までお墓参りです。
ん〜〜。昨日も今日も会議漬けだし、仕事が全然進みません。
エコ検まであと4日しかないし、あっちもこっちもちと焦って来た...、。
焦っても仕方ないから、ドンと構えるしかないんですけどね。
仕事の方は、周囲のスタッフを信じて任せるとして、検定の方は自分が頑張るしかありませぬ。

さ、勉強勉強...。って、ねむぅ〜〜〜〜。
| 正木京子 | feel | 23:00 | comments(0) | - |
ようやく

金木犀開花


金木犀にまつわる切ない思い出をここで蒸し返すことはもうしませんが(気にして下さる方は、ブログ内を「金木犀」でサーチなさってください)、この切なさ、寂しさを毎年句に詠もうとしながら、いまだに満足できる句が詠めません。

 金木犀一三翁を粧いぬ  京子

てな、なんちゃって俳句を一句詠んだきりの今年。あう..

腱鞘炎の方は、しっかり冷やして、バンテリン塗りこんで、湿布とサポーターでがっつりガード固めたおかげで、ほぼ3日で痛みは治まりました。
7日の朝にはお箸も持てないほどの痛みになり、8日の句会には代筆をお願いしないといけないかしらと思うほどだったのが、一晩でなんとかペンを持てるようになれたのは、さすが「腱鞘炎のベテラン」!
面の皮の厚さに似ず、皮膚が弱いので湿布でかぶれにかぶれ尽くしましたけど。

3連休は、充実の3日間でした。
ほんとにたくさんのことがあったけれど、最も私たちを和ませて力付けてくれたのは、Yu。
彼女は、03Magic、04CadetsでAge-outしましたが、150cmあるかないかのおチビさんで、人一倍努力しないと付いていけなかったと思います。
いつもニコニコ顔で、そこにいるだけでこっちもつい笑顔になってしまうんですが、その上に天然ボケと来てるもんだから、悩みを打ち明けられても爆笑になってしまいます。
大人になっても小さな羽根が背中に付いてるんじゃないかと思えるような天使みたいな子です。
何を思ったのか、今回、インオカに向けて京都から岡山まで単独自転車旅行を敢行しようとしたのですが、周囲の反対に合い、また彼女自身、箕面のだらだら坂でかなり参ったらしく、結局、西宮まで来て我が家に一泊し、翌朝JRに乗り換えて岡山に向かって行きました。

途中、高槻の果物屋さんで蜜柑を買った時に、果物屋さんの小母さんに「どこまで行くの?」と問われて「岡山」と答えたら「あんた、あほかいな!」と怒られたとか。小母さんが正しい!

その蜜柑をお土産にうちにやって来たのですが、夕食後、その蜜柑を2個、3個と重ねてバランスを取りつつ、彼氏の愚痴をこぼし、4個目になるとどうしてもバランス取れなくて倒れてしまう「蜜柑の塔」にまた笑いを誘われながら、ふと浮かんだ句。

 重ねつつ愚痴を転がす青蜜柑  京子

翌日の句会に投句したら、2選者はじめ、たくさんの方に採っていただいてしまいました。Yuに感謝。

このYu、膠原病患者です。
それもシェーグレンと結節性多発動脈炎という、かなり辛い症状。
「落ち込み酷くて、パキシル飲んだこともありますよ」と言う表情もまた笑顔。
私が、どうしても神を信じられないのは、こんなに素直で人を和ませてくれる子のところにこんな病気が襲って来ることを見てしまうせいかもしれません。
それとも、何か重い荷物と引き換えに、彼女に純真な心が与えられたんでしょうか。

彼女の辛さに比べたら私の辛さなんて...というような人の苦しみを比較の対象にして自分を慰めるような比較の仕方も私には出来ません。

でも、人にはきっと、「しなさい」と「誰か(何か)」から命を受けるようなことが課せられていて、その命題をこなすことが「生き甲斐」と呼べるのかもしれないなと、Yuを見ていると思えるのでした。
| 正木京子 | feel | 23:02 | comments(0) | - |
やってしまいまちた
昨夜の栗剥き、張り切ってやって、おいしい栗御飯たっぷり食べられて、ん〜〜、満足。
ここまではよかったんですが..。

人さし指の痺れはまだ残り、さらに、親指の付根が..。
エ〜〜〜ン! 腱鞘炎です。
栗の皮剥いて腱鞘炎になる人なんてあるんだろか? と「栗の皮 腱鞘炎」でググってみたら、382件もヒットしました。
きゃはは〜〜、あるんだぁ〜〜。ちょっと安心。

って、安心してる場合じゃないですね。
キーボード打つのに、スペースキーを親指で叩きますが、痛いです。
なぜか、薬指を使う時も微妙に親指の付根が痛いです。

私、腱鞘炎はクセになっていて、マウスを握りっぱなしで発症したこともあり、そのためにペンタブレットを使うようになったくらい、わりと用心するんですが、最近、そんな危険も少なくなって、うっかりしてました。

それにしても非力になりましたねぇ。
大昔は、手動タイプライターを一日打ち続けてても、肩凝りさえなかったんですけどねぇ。
タイプライターったって、A2サイズの紙がかかるような大きなキャリッジのタイプライターで、電動タイプライターが導入されて初めて、手動の操作の重さに気付いたくらい、おそろしく力のいるタイプライターでした。
車にはパワステもない時代、昔の人は、現代人よりはるかに筋力があったに違いありません。

なんて、蘊蓄垂れてる場合じゃなく、治るまでできるだけ指を休めてあげることにします。
あ〜〜、いてぇよぉ〜〜〜。
| 正木京子 | feel | 01:05 | comments(0) | - |
栗御飯
ますおさんしてくれている義弟の実家から送られてきたどっさりの栗を分けてもらったので、昨夜は、栗御飯を炊きました。
およそ50個ほどの栗をさっと熱湯にくぐらせて、せっせと剥きましたが、剥き終わる頃には包丁に添えていた右手の人さし指がビリビリに痺れてしまって、水加減をした炊飯釜をセットしようとしたら、片手で持てないほどに麻痺してました。
頑張った甲斐あって、とってもおいしい栗御飯が出来上がったので、今日のお昼用に会社にも持って行きます。

3時40分に目覚めて、メールを1通書いたんですが、まだ指は痺れてます。
てか、ちょっと指が腫れてるし...。頑張り過ぎた..。

ところで、妙な3元になってしまいますが、調理されたものにほとんどトッピングをかけないというのは、私の習性になってます。
「おいしく作ろう」と、調理人が工夫をした成果はそのままいただきたい。
調理の過程で、素材の風味や性格を引き出したり抑え込んだり、様々なバトルの後の成果ですから、まずその味を大切にいただきたい。
そんな思いで、出来上がったお料理に香辛料や調味料を加えることはまずしません。
もっとも、味に対する好みは人それぞれですから、引くことはできないけれど足すことはできるので、後から加えることをいけないとは思ってません。

でもねぇ、塩加減を考え、時には梅肉で処理し、ワインをふりかけ、それなりに工夫して「今出せる自慢の味」のつもりで作ったものに、味もみないでいきなりお醤油や塩をかけられると、がっくりします。
怒りさえ覚えます。
お料理にはかなり自信があるし、家族はそれを知っているので、子供たちは私と同じくほとんどトッピングは使用しませんが、何度言っても、連れ合いは、その「いきなり」をやらかしてくれます。
その度に「味みてからにしてね」と言うんですが、結婚して30年になろうと言うのに変わらないから、きっと一生、そのままでしょう。はぁ..。

もひとつ、調理後の調味料について、前から気になってること。
串かつ屋さんなんかに行くと「こちらは甘いたれで召し上がってください」「こちらは塩で」「こちらは辛いたれで」と、一串ごとに指示されることがあるんですが、それがその素材を最高に活かす食べ方だと調理人が思っているとしても、後から追加する調味料については、食べる人の意志を優先するべきじゃないのかなぁと、内心「勝手にさせてよ」と思っています。
どっちかと言うと、私は、あとから加える(つける)調味料は塩に限っています。岩塩ならなおよし。

「塩、抹茶塩、たれとありますが、お好みでお使いください」と言ってくれるお店の方が私は好きです。
こちらから、「これはどれをつけて食べたら一番おいしいですか?」とお聞きすることはありますが、そんな中から、お店の方とのコミュニケーションがとれるのも楽しいですし。

って、書いてまとめてみると...ただの私の我が儘なのね。
| 正木京子 | food | 04:56 | comments(2) | - |
徐々に
忙しさを取り戻しつつあります。
再来週あたりから、土日もフル回転の怒濤のイベント週間が年末まで。
その前に、ちょっとした和みタイムをもらって来ました。
月曜夜に、スタッフのO川が所属する伊丹シティフィル・トランペットパートによる「笑劇のトランペットフルコース」に、他のスタッフと隆司&久美も一緒に行って来ましたが、隆司が「ブラストより面白い!」と絶賛する内容で、中でも『悲しき小さな生命体 1、ブリゴーキ 2、アーカー 3、エーハー』の3部作は最高に面白かった。
「害虫」と呼ばれる虫たちの生態と人間との関わりを、トランペットとフリューゲルだけで表現した寸劇。
登場人物に成り切ったO川の演技はプロ級。日常の「虫嫌いぶり」を知っているだけに、内輪ウケも手伝って、爆笑しまくりました。

中学時代、交流の多かった今津中で1年下だった菊本和昭君がゲスト出演し、すっかり立派なトランペッターになってるのも楽しませてもらいましたが、遠目に見ると、菊本君、ちょっと太っていた頃の隆司そっくりの風貌。
楽器の構えからアンブシャまで、中学時代から似ているとは言われていたものの、技量は雲泥の差。
洛南から京芸に進み、数々のコンクールを総なめにした音に聞き惚れさせていただきました。
そうそ。菊本君もこの日入籍したそうです。



そして、昨日火曜日は、商工会議所の会議のあと、この夏、自宅を新築されたIさんのお宅のお披露目に招いていただいて、さすが建築事務所のオーナーらしい数々の隠し技にただただため息をついて帰って来ました。
もしも姫路の家を建て替えることになったら、Iさんのお世話になりたいなぁと思うほど、生活習慣に限り無く容れ物と大道具・小道具を創造しつくした設計。
洗濯物は外に干したい、でも人目につかせたくないという思いから生まれたロフトの「物干部屋」もスゴかった。自然の採光と通風で、部屋干しでも外に干したのと同じ環境が誕生。
苦手な掃除も大好きになってしまいそうな「つきあい易い」家でした。

I邸全景。東隣は阪神の和田豊コーチのお宅でした


さて、別チームを組んで仕事をしていた隆司ですが、実際のところ、うつが酷くてここ数カ月はじっと家で過ごす毎日。
医師のアドバイスもあり、今月から社内に復帰しました。
まだ週4の勤務で、担当は商店街事務局の業務。
バリ旅行で何を感じたのか、「バリには楽園はなかった。でも、懸命に生きようとする人たちがいた」と、バリで何かに取り付かれたのか、何かを削ぎ落として来たのか、人が変わったように前向きになっています。

あわてず、ゆっくり進んで行ってほしいなと思います。

| 正木京子 | feel | 03:43 | comments(0) | - |
25回忌
父の25回忌の法要でした。
祥月命日は、10月12日ですが、24年経ったこともあり、皆の都合を優先して今日の法要となりました。
父の亡くなった日に開花した金木犀はまだ開いておらず、幾分暑いくらいの陽気。
夫婦となった隆司たちの報告も兼ねた、陽気な法要となり、出張中の裕明を除いて久しぶりに揃った家族の顔に母も一日笑顔でした。

父の没年、母はまだ49歳で、隆司2歳10ヵ月、裕明は生後3ヵ月半。妹は独身でした。
葬儀のアルバムを開いて、思い出話に浸りましたが、7回忌くらいまでは涙涙でしたが、それぞれに独立し、それなりに暮らせている今は、葬儀の折の笑い話や、「今日のお経、カミはったねぇ..」などと、湿っぽさゼロで、こうして笑って思い出せるようになったことにむしろ不思議な感慨を覚えていました。

結婚後は、表札を2つかけて実家にそのまま住んでくれている妹の家族も男の子二人が高校生と中学生に成長しましたが、二人とも、「お祖父さん」のことは、写真と思いで話の中でしか知りません。
孫の中でわずかに記憶のあるのは隆司だけですが、模試から帰って来た中3の甥が帰宅後すぐに仏壇に挨拶しに行くのを見て、父の存在が生活の中で生きていることも感じました。
高2の甥は「おじいさんと話したかった」とよく言うそうで、せめてあと15年生きていてくれたら、もう少し、孫たちの記憶に刻みこめたのになぁとも思いますが。

「33回忌は、あなたたちでしてほしい」と言う母には、もちろん法要は私と妹でするとしても、なるたけ長生きしてほしいと思います。


さて、昨夜は、かどクンとまりぶさんが遊びに来てくれて、ずいぶん和ませていただきましたし、忙しかったけど、ストレスの溜まらないゆったりした2日間を過ごし、明日からは、また一味違った雰囲気になりそうな会社の始動です。

誰かさんは、明日初出勤ですが、もう一人、再スタートを切る者がここに。

なんとなくですが、今度は逃げずに立ち向かって行けそうな気がしています。
| 正木京子 | anniversary | 23:33 | comments(0) | - |
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