百歩の道も一歩から
家族増員

長年の夢だった「わんこ」のオーナーになりました。
我が家の三男。


シーズーの雄。
血統書には「ISAOK OF LOVERLY FARM JP」と立派なお名前が記されていますが、彼がやって来ると決まった日から、家族でさんざん考えたあげく、愛称は「パッチ」に決まっていました。
「笑いが心身を癒す」ことを教えてくれた「パッチ・アダムス」から頂きました。

パッチの生まれた場所は、那須にある某製粉会社のペットフード研究所。
フードのテスト犬としてお役目を果たした後、登録順が回ってきた我が家にやって来ました。
なんでも、全社からすごい数の希望登録数があって、なかなか順番が回って来ないんだとか。実際、うちもお願いしてから半年以上かかりました。

パッチがやって来て、まだ3日目ですが、不思議なことが一つ。
先週金曜から、通夜→告別式→結婚式二次会→一日おいてまた通夜→告別式と続いてしまったため、18日の朝は起き上がることも出来なくなり、途中呼吸も出来なくなって、全身に地図のような蕁麻疹を広げていた私が、パッチの姿を見た瞬間から、気分が軽くなって、翌朝には嘘のように蕁麻疹が消えてしまったこと。
今日も蕁麻疹はほとんど出ていません。

動物セラピーってかなりの効果があるのかも。まさに心にパッチを当ててもらった気分。
研究所から譲っていただける犬種は限られていて、今期はシーズー、ミニチュアダックス、トイプードルの3種だったので、シーズーに決めたものの「ホントは柴が欲しいんだけどなぁ」と不服を言っていたのが申し訳ないような思いです。

ちょうどパッチのやって来た日は、裕明が1週間の九州出張から帰って来た日だったんですが、犬好きの彼は瞬時に手なずけてしまって、膝の上で眠らせてました。

パッチとは長くいい暮らしをしたいと思ってます。
なわけで、パッチ専用のブログを開設しました。パッチブログは、完全公開。
パッチの成長記録にします。
| 正木京子 | family | 13:30 | comments(2) | - |
創立記念日
昨日12日は、会社の創立記念日でした。
12周年。ちょうど干支が一回りし、人間で言うなら、一人で旅に出してもなんとか帰って来れるという頃でしょうか。

裕明研修中の時期であり、今日から(本業?)の指導で九州に1週間出張することもあり、また、明後日のストリートミュージシャン・コンテスト決戦の準備、商店街総会の準備等々で、修羅場のようになっている事務所内でもあり、記念日だからと言って、特別な行事はしませんでしたが、おやつに紅白まんじゅうならぬシューアイスを配って、お祝としました。
10周年の時に、お披露目をしたいと思ってはいたんですが、9〜10年目は、会社存続の危機に陥るほどの大事件があり、祝宴どころか、1円でも経費を切り詰めないといけない時期になってしまって、この時も何も出来ず。

昨日、スタッフの皆に告げたのは、「3年後の15周年は、芸文センターを借りてコンサートをし、お世話になった方たちをお招きして聴いていただき、その後、ホワイエでパーティーをしたい。その時にここにいるメンバーは全員いて欲しいし、もしも何かで離れてしまっていても、必ず招待します」。

宣言しちゃったよ。
また目標が一つ。
| 正木京子 | anniversary | 06:59 | comments(0) | - |
山が動く
久しぶりの更新になります。
4月に入って、桜も音が聞こえそうな勢いで開き、夙川も芦屋川も河川敷は休日はもちろん平日もお花見客でごった返してます。

あと1週間で、会社創立12周年を迎えます。
「会社は10年やって一人前」と言われたことがあるけれど、まさに10年過ぎたあたりから、ようやく「これでOKなんだ」と確信が持てるようになりました。
想いはブレなく続けて来たつもりであっても、迷いや苦闘の数々を思い返すと、よく続いたものだなぁ、よくやって来れたなぁと、これまで籍を置いてくれ、去っていったスタッフたち一人一人の顔を思い出され、今のこの空気を一緒に吸いたかったなぁと、彼らに申し訳なさも募ります。

創業時もそうだったけれど、人には人生に何度か「やりなさい」と背中を押されるような条件や人が、パズルを合わせるようにピタリと集合する時期があるようで、この3月からの私は、「今必要な人」「今出会っておきたい人」に、不思議なくらい繋がっていきます。
一歩動く度に、出会うべき人に出会い、不可欠なモノに触れることができる、この状態は、12年前のちょうど今頃と同じです。
違うのは、12年前は何もかもが手探りであったけれど、今は具体的な絵が描けることでしょうか。

5月に、もう一つ会社を興すことになりました。
具体的なことはいずれまた。

話がいきなり10日も前に戻りますが、先週火曜日に、丹波篠山に行って来ました。
テノール歌手・畑儀文さんのご案内で、彼の故郷を散策してきたのですが、観光化が進むなかでも、20年前に訪れた時と全く変わらない佇まいを見せる街の一角もあり、「どこか懐かしい」という言葉が、私にとってのキーワードになりつつあります。

ちょいと古くなりましたが、丹波篠山巡りの数コマを。


青山藩の屋敷を利用した歴史博物館前で、
畑さんのお父様が館長をしておられます。


茅葺き民家をそのまま蕎麦庵にした一会庵のそばがきぜんざい。
赤々と燃える囲炉裏のそばで、そばがき、そばきりと、たっぷりいただきました。


日本一低い分水点、水分れ(みわかれ)の地名そのまま。


お待ちかねの「しし鍋」。
丹波市内の料亭「やまと」で、いただきました。


この店のしし鍋は、お客様の予約を受けて、来店時間に合わせて予め味噌で煮込んでくれています。
鯖街道の名残りを留め、今も鯖の棒寿司を競い合うようにして出す店がいくkつもある中で、篠山の「沢藤」よりも美味しい鯖寿司も「もう食べ切れない」くらいたっぷりいただきました。
食べ過ぎて、翌日、大変な蕁麻疹の逆襲に遭ってしまいましたが。

と、バタバタしつつ、毎日3日分くらいの仕事量と人との出会いに恵まれている4月1周目の私です。
| 正木京子 | feel | 23:50 | comments(0) | - |
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